わらってしにたいっていったうしろすがたをおもいだした。しにたくなさそうだった。すこしあつかった、よる。かえりみちだった。
じぶんがわからない。ずっとふわふわしている。仕事先でも、自分のないふわふわとした話ばかりしている。天気とかテレビで見た話とか。29年間生きて、こういうのはいいとか、これぐらいまでにした方がいいとか、そういう見えない境界線みたいなやつがわかってきて、みえてきて、10代とか20代前半のなんでも自分で許せていた頃ときっと、おもうことは変わっていないけれど、自分でとめてしまう。許せなくなった。いいことはある。こうしたら人を傷つけるかもしれない。ここまでにしないと人を不快にさせてしまうとか。そうやって自分を線引きしている。自分の足らないところばかりがみえる。いいのか、わるいのか、わからない。じぶんがわからない。わからないふりをしている。しらないふりをしている。きづかないふりをしている。これはわたしのかな?違うよ。貰えるわけないじゃない。とか、こう思ってもいいのかな?駄目だよ。多くを望んではいけない。ゆるされたい。むくわれたい。つれさられたい。すくわれたい。なににもとらわれたくない。ばくぜんとしたしあわせにつつまれたい。なににおわれているのかもわからない。人に頼ってはいけないよ。甘えだよ。自分で考えて、自分で生きなくちゃいけないよ。
髪を短くした。本当に意味はなくて、バイト先が暗い髪じゃないといけないから(金髪にしたい)、黒髪だからできるやつにしたいなとか、もういい歳だから、長いほうがいいのはわかっているしすきだし、今のうちに一回ショートカットにしてみよ!ちょうどマスクの時期だから、顔隠せるし!みたいな感じできった。今までの雰囲気とは全然違うけど、違う人みたいで気に入っている。
すずめのひなが、からすにたべられてしまうのをみて、泣きそうになった。ほかのひとは、かわいそうだね、弱肉強食だね。ってテレビを見ているような、感じで言っていて、そうだなって思ったけど、うまく飲み込めなかったけど、そうですねって笑った。
生活がおだやかになった。仕事をしていても、ごはんはでてくるし、服は洗濯されているし、そうじも、買い出しもしてもらっていて、余裕がある。本当にありがたい。がんばって働いている。
ふと、最近叫んだりしていないなって思って、よく考えたらおかしかったなっておもった。限界だったんだなって思った。ひとりのときに、部屋でなにもできなくて、どうしようもなくなって、時々叫んでいた。ふとんとか頬を叩いていた。そのあとは、普通に生活していた。
生活に余裕があって、何かできるなっておもって、ずっとなにかしたいっておもっていたから、そろそろなにかするぞっておもって、でも気が遠くなる。自分で限界を見つけたらだめだよ。なんだってできるんだ。しないとわからないでしょ。って頭の中で言っている。なんだってできる。片隅で思う。自分に自信がなくて、自分を認められないのに、何かできると思えない。
四肢とFiction。
四肢とてもいい。Fictionとてもいい。
どちらも優しい。
四肢。幻肢。ずっととおくえ、小林さんとの組み合わせとてもあっているなっておもった。歌詞がとてもすき。あか?ぴんく?あたたかみのある色が血が通っているみたいでとてもきれいだった。文字組がすこしきになった。どの曲もとてもすきだし、アルバムとして、とてもいい。どうぶつぐういたんの最後のところを聴くたびに、胸があたたかくなってすこしくるしくて、泣きそうになる。文章、久しぶりに読んだ気がして、とてもよかった。やっぱりすきだなと思った。読んでいる時の独特なさーっと血が引くような感じが変わらずした。österreichとてもすきだなって最近よく思う。
Fiction。ブクガがすきだ。曲も歌も歌詞もダンスも振り付けも、メンバーのことも、プロデューサーのことも、事務所のことも、活動も、表現も、全部全部ひとつひとつすきだ。すごくいいベストアルバムだった。blue lightがはいっていなくてさみしかったけど、townscapeめちゃくちゃいい。ダンス頭の中でみえる。あと、cloudy ironyが歌がそのままなのがよかった。non Fictionがすごくよかった。こしょーじのことばがじぶんのことみたいだった。アンサーだとおもった。今度チェキ撮りたい。リアコ。これからもずっとすき。
緑が青々と茂っていて、神秘的でいい。
暑いのはいやだな。夏がくるね。
- ミキちゃんとぺいちゃんへ
- 一昨年のまだ暑かったときに、色々悩んで悩んでしんどくなっちゃって、追い詰められて、何も解決しなくて、これは死ぬのが1番いい解決策なのでは?って思いはじめていたときがあった。メンヘラな人生を歩んできたので、恋愛がらみでしにたくなったことはあれど、人生に行き詰まって、否定されて、しにたくなったのははじめてだった。あるとき、深夜ひとりで、あ、むりだ、飛び降りよう(9階のマンション)って思って、じゃあこれから死ぬのだったら、やることがあるなってときに、たまたま初めて楽園の君を聴いた。めちゃくちゃに泣いた。今でも覚えている。すぐに再生ボタンを止めて、わんわん泣いた。救われてしまった。こんなことあるんだなって思った。大切にしようと思った。しぬのはやめて、少し休むことにした。実家に帰る電車で、ひたすら楽園の君を聴いて、歌詞をひたすら紙に書き出して、帰った。そのあとは、一応悩んでいたこともどうにか解決して、しぬことは忘れた。でもどこかで、このままではいつかしぬかもなって思っていた。しあわせだったのに。去年の11月にまたしにたくなるまではいかなかったけど、人生の転機になるようなことが起こって、朝方自分のことを責め続けた。情けないけど、泣きながら親に電話して、迎えに来てもらった。全く余裕がなかった。甘えでしかないなと思う。この期間、ちょうどシネマスタッフのベストアルバムツアーがあって、救われた。すごいタイミングだなって今、改めて思う。何も後ろめたくない気持ちで音楽に救われた。繋がってしまった。別にösterreichもcinema staffも私の人生を救おうとして、やっていないのに、音楽ってすごいな。勝手に救われちゃうんだから。本当にねじ曲がって伝わって欲しくない。私はそんなに器用じゃない。自分でびっくりするぐらい不器用だし、いまだに0か100みたいにいきている。色んなことはあるけれど、それは別の話で、音楽に救われている。返してもらっている。曲がって伝わってしまいそうだったし、うすっぺらくなりそうだったから、ひとりで大切にしようと思っていたけど、でも、もう残してもいいかなって思った。あと、友達にも感謝しているし、救われています。自分に価値がないと思ってしまうから、今のわたしにも連絡をくれたり、会いたいって言ってくれたり、すきでいてくれるの、うれしい。ありあまる。もったいない。あと、わたしのすきの思い出にも救われている。わたしは誰かのためにじぶんの好きを抑えられることはできないだろうなと思った。わたしはわたしのために好きを抑えることもできないのかもな。そうでなくちゃいけないなら、わたしはそれを守るためにひとりでいきたいといまは思います。自分が何を大切にしたいかとか、どうしたいかとか、自分でもよくわかっていなくて、とにかくだめな自分ではいたくなくて、昔みたいにはなりたくなくて、それだけはわかっていて、とにかく色々なものを探している。下書きにあった記事を公開にしたら、その時の日にちで更新されてしまった。
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