‪一昨年のまだ暑かったときに、色々悩んで悩んでしんどくなっちゃって、追い詰められて、何も解決しなくて、これは死ぬのが1番いい解決策なのでは?って思いはじめていたときがあった。メンヘラな人生を歩んできたので、恋愛がらみでしにたくなったことはあれど、人生に行き詰まって、否定されて、しにたくなったのははじめてだった。あるとき、深夜ひとりで、あ、むりだ、飛び降りよう(9階のマンション)って思って、じゃあこれから死ぬのだったら、やることがあるなってときに、たまたま初めて楽園の君を聴いた。めちゃくちゃに泣いた。今でも覚えている。すぐに再生ボタンを止めて、わんわん泣いた。救われてしまった。こんなことあるんだなって思った‬。大切にしようと思った。しぬのはやめて、少し休むことにした。実家に帰る電車で、ひたすら楽園の君を聴いて、歌詞をひたすら紙に書き出して、帰った。そのあとは、一応悩んでいたこともどうにか解決して、しぬことは忘れた。でもどこかで、このままではいつかしぬかもなって思っていた。しあわせだったのに。去年の11月にまたしにたくなるまではいかなかったけど、人生の転機になるようなことが起こって、朝方自分のことを責め続けた。情けないけど、泣きながら親に電話して、迎えに来てもらった。全く余裕がなかった。甘えでしかないなと思う。この期間、ちょうどシネマスタッフのベストアルバムツアーがあって、救われた。すごいタイミングだなって今、改めて思う。何も後ろめたくない気持ちで音楽に救われた。繋がってしまった。別にösterreichもcinema staffも私の人生を救おうとして、やっていないのに、音楽ってすごいな。勝手に救われちゃうんだから。本当にねじ曲がって伝わって欲しくない。私はそんなに器用じゃない。自分でびっくりするぐらい不器用だし、いまだに0か100みたいにいきている。色んなことはあるけれど、それは別の話で、音楽に救われている。返してもらっている。曲がって伝わってしまいそうだったし、うすっぺらくなりそうだったから、ひとりで大切にしようと思っていたけど、でも、もう残してもいいかなって思った。あと、友達にも感謝しているし、救われています。自分に価値がないと思ってしまうから、今のわたしにも連絡をくれたり、会いたいって言ってくれたり、すきでいてくれるの、うれしい。ありあまる。もったいない。あと、わたしのすきの思い出にも救われている。わたしは誰かのためにじぶんの好きを抑えられることはできないだろうなと思った。わたしはわたしのために好きを抑えることもできないのかもな。そうでなくちゃいけないなら、わたしはそれを守るためにひとりでいきたいといまは思います。

自分が何を大切にしたいかとか、どうしたいかとか、自分でもよくわかっていなくて、とにかくだめな自分ではいたくなくて、昔みたいにはなりたくなくて、それだけはわかっていて、とにかく色々なものを探している。

下書きにあった記事を公開にしたら、その時の日にちで更新されてしまった。

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